気まぐれ日記 08年10月
08年9月はここ
10月1日(水)「下期に突入・・・の風さん」
10月1日となると、会社は下期へ突入する最初の日である。私の職場にも色々な変化があったが、一番大きかったのは、人材の異動である。私の職場は人材を必要としている。新たに他の職場から2名が転籍になってきた。現場経験のある社員である。また、今年前半から応援してもらっていた2名が、正式にうちの職場の人間になった。これで、ついに私の職場は約120名となった。入社して29年目になるが、過去最高の部下の数である。そしてまた、出向社員の1名が交代になり、別の出向社員の1名は1年継続となっている。
これだけ多くの部下をもっていると、一人一人をしっかり管理するのは無理である。全体の大きな舵取りが重要になる。組織の風土管理といったものだろう。それがなかなか難しい。私はただ全員の安全(交通事故、職場災害がないこと)を第一に考えている。
本業の小説家の方は、開店休業中に近くなってしまった。しかし、先月の国際学会発表という大きなヤマを乗り切ったので、これから徐々に復活させようと思っている。
学業の方は、クルマの運転で言えば、トップギヤに入った状態である。このまま来年度まで突っ走って、無事博士課程後期を修了したい。
10月2日(木)「会社員も小説家も学生もシームレス・・・の風さん」
夜まで含むスケジュールの都合から、電車で本社へ出張した。北海道で買った「わかさいも」がちょっとした荷物で重かった。午前中は会議が続いたが、その合間を縫って、すべての「わかさいも」を配り終えた。淡路島での国際学会の発表に協力してくれた仲間への感謝のお土産である(と言いつつも、淡路島では発表後の脱力感でお土産を買う精神的余裕が全くなく、北海道土産になってしまったが)。
午後から松阪市まで部下のクルマで出張した。天気が良く、絶好のドライブ日和だった。もともとミッシェルでの出張を期待していたのだが、夜の懇親会出席のために、それはできなくなっていた。松阪市は本居宣長ゆかりの地である。旧宅を活用して記念館がある。まだ行ったことがない。歴史小説家として失格かもしれない(笑)。
役員と出張したので懇親会に同席させてもらえることになった。場所は京風季節料理の料亭だった。入っていきなり強い香の匂いがした。玄関の内側も凝った造りで、別世界であることを主張している。料理は野菜が中心で、私はうれしかった。経営者の方たちのタイ赴任こぼれ話が面白かった。私は社会人入学の話などもした。地酒の「八兵衛」を冷酒でいただき、ひどく酩酊してしまった。酔えば当然小説家のPRになってしまう。懇親会がはね、別れ際、しっかり名刺をばらまいた。絶対的な効果を期待してのことではない。自らの意識の高揚の方が大事だ。
10月3日(金)「今日は名古屋出張・・・の風さん」
朝から電車で名古屋へ出張した。日本能率協会中部地域事業部主催の第19期生産技術研究部会の運営委員をやっているが、その今期の中間研究発表会を聴きに行ったのだ。そもそも会社の指名で始まった社外業務だったが、色々な先生方と知り合えたり、他社工場見学ができたりして有意義な活動だと思っている(参加者にとっては異業種交流の場となっていて、中堅技術者にとって貴重な経験が得られる)。
久しぶりに中部大学経営情報学部学の小野桂之介学部長がみえていた。夕方、会が終わった後、お話をする機会があった。このごろは、入学してきた学生らに学問や人生の目標を気付かせるため、色々な工夫をされているという。小学校から中学、高校まで様々な教育改革がなされているが、時代の変化についていけていないのだろう。ゆとり教育も実を結んでいるとはとても言えない。それでも、日本の将来を担うのは子供たちだ、若者だ。彼らを育成・教育することが我々おとなの最大の使命のような気がする。
3月に出版した拙作『和算小説のたのしみ』では、「はじめに」と「おわりに」のところで、多少教育観をぶっている。小野先生へ『和算小説のたのしみ』を後日お送りすることを約束して別れた。
時間があったので、行きつけの床屋へ足を伸ばした。かなり短くして帰宅した。
10月4日(土)「グランドゴルフも仕事・・・の風さん」
朝から快晴である。
「そんな格好じゃ暑いわよ」
裕次郎のウィンドブレーカーを羽織って出かけようとする私に、ワイフが警告した。
すぐに中を半袖Tシャツ一枚にして出直した。
今日は土曜日で会社は休日だが、電車で製作所へ出社した。地元との懇親を深めるためのグランドゴルフ大会が製作所内であり、そのメンバーになったのだ。そもそもこのグランドゴルフ大会は製作所開所以来続いているそうで、もう10年以上になる。製作所勤務5年目の私は初めての参加である。
地元の人と混成チームを作り、16ホールに挑戦した。グランドゴルフそのものは3回目なので、その難しさは分かる。まるで夏のような日差しの下、裕次郎のウィンドブレーカーを脱いで、真剣にプレーした。個人的にはストロークが50で、参加者全体の平均値だった。手術後、体力も運動神経もがた落ち状態だが、だんだん元に戻りつつあるのを感じた。
私が地元との懇親とはいえグランドゴルフに興じている間に、職場が仕掛けた外来工事が近くで着々と進んでいたし、休日でないとできない保全業務のために休出していた人たちもいた。青空を見上げながら、多くの人たちの人生を思った。
10月5日(日)「やっとドイツへメール発信・・・の風さん」
天気は昨日から一転して悪くなった。
たまりにたまった雑務を朝から書斎に籠もって片付けていた。
一番気になっているのが日本語の論文……という表現は変か……ではなくって、日本経営工学会向けの論文作成である。ICMA2008へ英語の論文を提出したが、淡路ではほんの少し進展した内容を発表した。それくらいの内容で論文化したいのだが、何せ、私には時間がない。色々なことに首を突っ込んで、それらを処理するスピードが遅いために、単純な雑務までが山のように溜まってしまう。書斎の中は足の踏み場もなくなっている。
夜になっても雑務は片付かなかった。しかし、いくら何でもやらねばならないことがある。大学から研究助成金をもらう権利を得ているのだが、その使い方が分からないために(使用目的は決まっている。教授会で承認を得た時点でドイツへ行くと申請しているのだ)、質問メールを送った。そして、ドイツへ行くきっかけを得るために、私の研究テーマに適切なアドバイスをしてくれると思える研究者へもメールを送った。ドイツの研究者というのは、今年1月に大野先生と読んだ論文の筆者で、かつて会社の同僚がブダペストで学会発表したときのセッションのチェアマンだった方だ。そのへんのエピソードも書いて自己紹介しつつ、アドバイスがいただけるか、メールに書いた。文章は英語で、必死に英作文をしている時間はなかったので、実力の範囲内で書き上げた。
送信ボタンを押すとき、心拍数がいくらか増えた。
そういえば、今日は、私の職場の期間従業員の何人かが、正社員登用のための筆記試験に臨んだはずである。彼らも緊張して答案用紙に向かったことだろう。
10月6日(月)「品質問題対応で午前様・・・の風さん」
先週末職場で発生した品質問題に、朝から取り組み始めたが、次第に熱を帯びてきた。だんだん事の深刻さが明白になってきたからだ。現場の生産はストップし、上司への報告が避けられないことも分かった。
正午に上司へ簡単な第一報を入れた。
午後からは、現状をより正確に把握するため、次々にデータ取りを指示した。時間がかかっても、ノンストップで作業を継続しなければならない、と宣言した。それが最も早い処置だからだ。
「徹夜してもやり切るからな!」
私は明瞭に宣言した。
昨今の残業規制強化など関係ない。やるときにはやらねばならないのだ。
夕方再び上司へ報告し、まだ最悪のデータが出ていないことと、今夜は作業をやりきる、と申告した(徹夜も辞さないことの承諾を暗にもらったのである)。
戦国時代の侍大将が陣頭指揮を執っている状態を醸し出したことで、職場の多くの仲間がデータ取りに参画してくれた。何度か途中経過が報告されたが、夜10時過ぎからも会議が召集され、集められたデータに基づいて皆で議論した。
「よし。今夜はこれで解散とする。ごくろうさま」
午前零時寸前に、私は今日の作業の終了宣言をした。幸いなことに最悪の事態を示すデータは出てこなかったのだ。最悪の事態のデータが出た場合のシミュレーションは、私の頭の中だけで行われていた。そのデータが出た時点で、あらゆる対策案と計画が作成されて、明日のうちに上司はもとより我々の後工程となる顧客の上層部へ説明するのである。その計画作成は膨大な作業となるため、一睡もしているヒマはなかったのである。
午前零時半に上司へ第4報に相当するメールを送って職場を後にした。今日はミッシェルで出社して助かった。
10月7日(火)「問題は運良く推移するも・・・の風さん」
夕べはろくに寝ていなかったので、早起きができず(目覚ましで目が覚めたことは覚めたが、身体を起こしたら、フラフラしてとてもベッドから出られなかった)、電車での出社を断念した。
ラジオ体操には参加して、その後、すぐに会議。品質問題のための今日の作業を確認してから、本社へ出かけ、上司の役員へ直接報告した。先週、懇親会で一緒に飲んだ役員である。何とも情けない。当然、私の開口一番は、謝罪の言葉である。
役員からは、徹底してデータを積み上げること、と指示が出た。まだ油断はならないのだ。その後、同僚と関係部署を訪ね、それからまた製作所へ戻った。
午後もずっと報告されるデータに注目し、夕方、さすがに疲労を覚えて、今日は早めに帰宅することにした。
帰宅して夕食後、書斎に入ったが、椅子に座っていることも苦痛で、いつものように床に横になった瞬間、そのままダウン。
大学からのメールで、研究助成金を海外渡航費用に用いることはできない、というまるで死刑宣告のような内容が送られてきていた。
10月8日(水)「ノーベル物理学賞と阪神タイガースの関係?・・・の風さん」
昨夜は午前零時にいったん目が覚めたが、身体はぴくりとも動かせなかった。
次に午前3時に目が覚めたときは、どうにか起きられそうだったので、それから軽く入浴して頭をスッキリさせ、書斎のパソコンに向かった。
使命感と執念で、ひと月ぶりぐらいに、ようやく経営工学会向けの論文に着手したのである。長く中断していた作業を再開するのは大変だ。しかもボケた頭には、「思い出す」というきわめて非効率的な前作業が必要なのである。どうにか論文作成の再スタートを切ることができた。
しかし、5日の夜にドイツへ送ったメールの返信がまだ来ないので不安だ。約8時間の時差(向こうは遅れている)があるにしても、……。
朝食後、ミッシェルで有料道路を突っ走って本社へ出張した。
二つの会議に出席し、昼食をやや早めに摂った後、製作所へ戻る途中で郵便局に寄って2件の振り込みをした。
製作所に戻ると、私が夏休みに設計した治具が完成したという報告を受けた。約50万円かけた(部品点数が約50点もある)けっこうな作品である。しかし、すぐに見に行く余裕はなかった。次々に襲い掛かってくる仕事を処理しながら、あっという間に夕方になり、労使の集まる会議に職場の代表として出席した。残業の話題が出たが、使用者側の一人である私は、「残業をどんなにやってでも、仕事は進めてもらいたい」などと不謹慎な発言をした。こういったすぐに本音を言ってしまう人間が、最近よく大臣を辞職している(笑)。
やっと会議がなくなって席に戻ると、同僚が帰り際に私の設計した治具を見に行きましょうと提案してきたので、近くにいた同僚も誘って出かけた。
治具は本当に出来ていた。物の移動を楽にするための「レール上をパレットが動く」治具である。スムーズな動きに満足した。それだけ設計が間違いなくできていた、ということだ。ただ、私の設計にない部品がいくつか装備されていて、それらが安全上問題ありそうだったので気になった。今後の改善対象だろう(私の基本設計は安全には万全の配慮をしてある)。
日本人のノーベル物理学賞が3人出た。すごい、と思った。そして、その研究成果が、とても理解できない内容だったので、また驚嘆した(笑)。
そして、今日は、とうとう阪神タイガースが首位から陥落した日でもあった。途方もない強さとあっけない弱さの両極端を備えた球団。それが我が阪神タイガース。一方の私は、強いときは応援するが、いったん落ち目になると見離す、両極端を備えたファンである。
10月9日(木)「ドイツから返信メール!・・・の風さん」
今朝未明にドイツの研究者から返信メールが届いた!
私の研究に興味があるしアドバイスも可能とのことだった。うれしかった。
そこで私は、今日午前を急遽有休にして、経営工学会向けの論文を急ぐことにした。幸い、品質問題に関しては、順調に対応が進んでいる。
返信に感謝するとともに、ドイツの研究者にICMA2008へ提出した論文をメール送信し、まだ研究が満足できるものではないのでよろしく、と伝えた。再び返信が来るのは来週以降だろう。そうなれば、次にはドイツへ行って会いたいと伝えるのだ。考えている時期は、来年の1月末だ。CIRPという権威ある学会がフランスで会議を招集しているので、そこで多くの研究者と会える可能性がある。フランスからドイツへ移動するのも難しくない。最大のネックは費用である。それは今度の土曜日に大野先生と相談することになっている。
経営工学会向けの論文の作成が少し進んだが、まだ大野先生へ送れるレベルではない。
快晴の空の下、徒歩で最寄りの駅へ向かい、福島県へ出張のため午後出発した。
片道約4時間かかる。疲労が回復したこともあり、ひたすら読書に励んだ。
7時半に須賀川の母の家に着き、一緒に温泉に行って帰ってきてから夕食を摂った。
母のセリカの車検と母の免許の更新が来月に控えている。ガンコな母なので、時間をかけて相談をしている。反対するような意見を言うと頑なになってしまい、議論は先へ進まなくなる。上手にリードしなければならない。とりあえず、私が来たときのためにもセリカの車検はしておき、免許の更新はもっと時間をかけて考えるように言った(私の本音は、もう高齢の母には免許証を返上してもらいたい)。
昨日に続いて日本人のノーベル化学賞が出た。すごい。
世界経済が謎の急激な後退を示す中、本質的なことだけは、きちんと世の中に現れる。
10月10日(金)「三文小説家の夢想・・・の風さん」
須賀川の母の家を出る前、朝食時に、例によって野良猫が餌を求めて庭に面したガラス戸に4匹も並んだ。次々に子猫が誕生しては、数が増え、それがいつの間にか減少することを繰り返しているので、決して猫だらけにはならない。人間よりもはるかな高スピードで野良猫たちの人生(?)は輪廻転生を繰り返す。
郡山駅で同僚3人と落ち合ってタクシーで出張先へ向かった。
話好きのタクシーの運転手が、出張先に関わる歴史の話をし出した。戦国時代までさかのぼる。三春の真照寺に松下幸之助の祖先の墓があるという。三春の話題が出たので、芥川賞作家の玄有宗久さんのお寺を聞いたら、福寿寺と即答する。もう何度も玄有さんを乗車させたことがあるらしい。それに応対しているうちに出張先に着いた。あまりの詳しさに、いつか役に立つタクシーだと思い、名刺を求め、私も自分の(本業の)名刺を渡した。
「知っています」
運転手は、私を見ながら笑顔を向けてきた。
小説までは読んでいないだろうが、珍しい私の筆名を覚えていたのかもしれない。
仕事を終えて、郡山駅から夕方の新幹線「やまびこ」で帰ることになった。
エスカレータに乗ってホームへ出ようとする私のすぐ前に30代と思われる男女が並んだ。男はスーツ姿のサラリーマン風。女も普段着ではない、どことなくOL風である。二人の距離の近さから、その親しさに普通でないものを感じた。ホームへ出てすぐ、女が腕を男の腕に軽くからめた。一緒に出張してきた男女の妖しい関係ではないかと直感した。女は特徴のない顔立ちで目立たない化粧だったが、清潔感を感じる風貌だった。男は女よりやや背が高い程度の中肉中背で、横顔に少々険しいものがあり、かと言って苦味走ったいい男というのでもない。見ようによっては「いけすかない」奴、と感じる女性もいそうだ。二人は私と同じ号車のもう一方の乗り口に並んだ。
新幹線が入ってきて、見ていると、女は後方へ一人で立ち、男を見送る形になった。女の持つ小さなバッグは、確かに旅行用というには小さ過ぎた。
(週末に東京へ帰る単身赴任の男を見送る現地妻か……)
三文小説家の貧弱な想像力が、一瞬かきたてられて消えた瞬間だった。
今回の出張で、英会話の本を1冊読み終えた。最近、読書がさっぱりできていなかった。ようやく32冊目である。もっとピッチを上げなければ。
帰宅し、昨日の論文の続きに取り組んだ。午前2時まで頑張って、できたところまでを大野先生へ送った。
10月11日(土)「助成金問題の行方・・・の風さん」
今日も爽やかな秋空だった。日中は暑いくらいだった。
電車で本山キャンパスへ向かった。
大野先生と様々なことで相談した。研究助成金で海外渡航費が出ないことは諦めて、海外研究用の奨学金を申請することと、研究助成金を別の用途で使うことを決めた。すべて大野先生を通じて申請・処理することらしく、先生が承認していれば、だいたい通るとのことだった。日本語の論文についても、現時点の内容で一段落させることで合意した。来年1月にヨーロッパへ行くことと、新たに日本機械学会で発表する準備を開始しなければならない。
いつもより早めにゼミを終え、名古屋駅隣接のデパートで買い物をし、その後、助成金で買う品物の物色にコンプマートまで足を伸ばした。
最寄りの駅と自宅を往復共に歩いたので、今日は良い運動になった。だんだん元の身体に戻りつつあるのを感じる。
夕食時に小樽で買った純米酒を刺身を肴にして飲んだ。さっぱりして美味かった。小樽の二日目の夜がよみがえった。
10月12日(日)「気まぐれ日記を一気に更新・・・の風さん」
1週間に1度できるかできないかの雑務を片付ける日。
なんと、10月の気まぐれ日記を一気に書き上げた(今日までの分)。
明日からどうなることやら。
10月13日(月)「職場の話題・・・の風さん」
私の職場には期間従業員という人たちがいる。今の世の中でよく人の口にのぼる派遣社員とは違う。雇用期間は短いが、雇用契約中はほとんど正社員と同様の扱いになる人たちだ。そういう人たちがたくさん現場で働いてくれている。もう一つ派遣社員とやや違うのは、正社員登用のチャンスが大きいことだ。年に2回、その機会があり、現場力増強のために、かなりの人数が採用される。筆記試験と職場推薦をもらって、本採用試験にのぞむことになるのだが、今日、応募している11人を、本採用試験の練習も兼ねて、職場面接をおこなった。さすがに1日仕事になってしまう。疲れた。それでも、正社員登用に臨む姿勢の強弱が、面接態度にも表れていて、こちらも勉強になる。
先週の金曜日に、製作所の代表が、地域の主催する自衛消防隊消火技術競技会に参加した。その中に、うちの職場の若手も参加したのだが、その一人が昨年期間従業員から正社員に登用された若い女性だった。一見か弱そうな人だったので、どうなることかと心配していたが、見事、女子の部で優勝してしまった。製作所の代表の中では、個人、団体とも優勝したのは彼女だけである。
その彼女が、今日、獲得した金メダルを見せに来てくれた。ギリシャ彫刻のような像が彫り込まれた格調高いデザインで、本人はうれしそうだったが、私もうれしくなってしまった。
帰宅してから、先日、葉書をもらった三浦しをんさんへ拙著の参考資料を郵送する準備をした。
10月14日(火)「定期健康診断結果は正直・・・の風さん」
今日は天気が下り坂だった。が、それでも電車で出社した。できるだけ歩いて健康を取り戻さなくては……。と言いつつ、朝食抜きで出てきたので、ちょっと腹に力が入らない。なぜ朝食を抜いたかと言うと、年に1度の定期健康診断があったからだ。
何しろ入院・手術から復帰して以来、どうにも体調がすぐれない。最近やっとラジオ体操ができるようになった程度である。
だから、定期健康診断には不安があった。そして、それはすぐに現実のものとなった。身長測定で背が縮んだ結果が出たのだ。恐らく老人のように、背骨の周辺の筋力が弱ったために、縮んだのだろう。一方、体重は過去最高と思われる重さで、メタボ予備軍入りを宣言したも同然だった。これはやばいぞ。それから、握力測定にもさっぱり力が入らず、女性のような数値になってしまった。
昼休みにCD機から現金をおろしたら、予定通り、先週、大学の後期授業料が落とされていた。額面が極端に小さくなったが、何とかマイナスにはならなかった。その引き出した現金で、後期つまり半年の通学定期を帰りに購入した。
帰宅し、今夜は、溜まりに溜まった領収書(経費処理するためのもの)の整理にかなりの時間を費やした。
10月15日(水)「また職場の話題・・・の風さん」
今日は、製作所の環境診断で、所内を役員と一緒に巡回した。たまに所内を見て回るのは面白い。普段入れない所へも入れるからだ。
こんなことをしている間に、実は本社で所属する部の会議があり、うちの職場の社員がそこで表彰されていた。表彰されたのは、昨年期間従業員から正社員に登用された男子で、社内教育の受講結果がきわめて優れていたため、最優秀賞の表彰を受けたのである。本社へ行っても知らない人ばかりだったはずだが、堂々と表彰されて、感想もしっかり述べてきたというからたいしたものだ。
また、今日は、ここしばらく体調を崩して休んでいた部下の一人が、久しぶりに顔を見せてくれた。昨年、椎間板ヘルニアの手術を受けたのだが、その後の経過が一進一退を繰り返していて、本人もかなり焦っているらしく、今日は痛み止めを飲みながらの出社だった。あまり無理せず、少し長い目で見てじっくりと社会復帰していくようにアドバイスした。とは言え、やはり本人の精神状態は相当追い詰められていると思われ、私も信頼できる医師や病院、リハビリ、トレーナーなどを探して紹介してあげようと思った。
帰宅し、インターネットでチェックすると、リア・ディゾンが結婚し、妊娠もしていると言う。日本人の女性よりも日本的なものを感じる女の子という印象で、私も関心が高かったのだが、本当に今時の日本女性と同じようにあっけなく「おめでた」になってしまった。相手も日本人らしい。こうなったら絶対に日本国籍を取得して、日本人の子供をたくさん産んでほしい(どういう理屈だ?)。
10月16日(木)「またまた職場の話題・・・の風さん」
今日は会議の予定の少ない1日なので、たくさん雑用を処理できるかと思ったが、そうは簡単に問屋は卸してくれなかった。次々に突発の会議をしなければならなかった。
とは言え、雑用もいくらかはした。昼休みにアメリカへ赴任している同僚へ、来たる11月にロスで開催されるモーターショーへ行って、ある調査をしてきて欲しいという依頼のメールを昨日送ってあったのだが、その返信が届いたので、またメールを書いていた。全文英語である。もちろん同僚は日本人なので、わざわざ英語で書いているのは、一種のジョークである。日本語なら「……(笑)。」といった文章も、冗談で「……(laugh).」なんぞと書いている。
そんなことをしているところへ、いきなりアメリカから電話がかかってきた。その同僚からである。特別の回線でつながっているので、長電話をしても電話代を気にすることはない。あれこれと他愛のない話をした。
さらに今日は、ここ1ヶ月ほど入院・手術をして会社を休んでいた部下が、久しぶりに元気な顔を見せてくれた。日頃の仕事ぶりには定評のある男で、どんな難しいことでも積極的に取り組む姿勢は、私も見習いたいと思っているくらいだ。とにかく、元気そうだったので、うれしくなった私は、ちょっとからかうような言葉をかけてみたら、
「入院中、気まぐれ日記で職場の様子がよく分かりました」
と切り返されてしまった。優秀な社員は、入院中でもあらゆる手段で情報を入手しているのだ。
早めに退社し、名古屋駅まで行き、日曜日に上京して美術館めぐりをする次女のための指定切符を入手してきた。そのついでに、大判焼きを買って帰ったのは、切符の購入だけで帰ってくるのが惜しかったからだ(なんのこっちゃ)。
10月17日(金)「植物談義・・・の風さん」
溜まっている雑用がなかなか片付かず、昨夜の就寝が遅くなってしまった。それで、今朝はミッシェルで出社。天気はまずまずだったので、こういうときは駅まで歩いて電車で通勤が気持ちいいのだが。
秋の風物詩というか、道路脇にコスモスが目立つ。何のことはない、休耕田の畦道に植えられたコスモスだ。赤とピンクと白だけなのだが、数が多いと見ていて清々しい。れんげが植えられているところもあるらしいが、ほとんど見ない。花期は春で、肥料にもなるらしい。春ならたんぽぽの方がよほど目につくな。
今年の秋は、土手や野原にセイタカアワダチソウも目立つ。
この間、福島へ行ってきたときも、何となく鼻がむずがゆかった。よく見るとそこかしこにセイタカアワダチソウである。人の背丈ほども伸びているのがある。てっぺんがくすんだ黄色で、茎や葉の緑色との組合せが、カントリー風で好きだが、この北アメリカ原産の帰化植物の繁殖は恐ろしい。根っこから毒液を出して、周囲の植物を殺しながら群生していくのだ。日本古来のすすき野が絶滅したりする。だが、数年すると、自らの毒で自滅してしまうのだ。しかし、生命力というか、どこかでちゃんと子孫が生き延びているのだろう。また、忘れた頃に群生を始める。
以前にも書いたが、セイタカアワダチソウを江戸時代の小説の場面に書いたら、作家生命は終焉を告げることになる。江戸時代にはまだ日本になかったからだ。
英語のCDを聴きながら、路傍の植物を観察している、出勤前の風さんだった。
10月18日(土)「同猫相憐れむ・・・の風さん」
日本推理作家協会の自己紹介ページに、特技として「猫の言葉が分かる」と書いてある。本当である。
飼い猫のシルバーの体調が悪い。だいぶ前から身体に出来物ができていて、痒いらしく頻繁に掻いていた。
そこで獣医に連れて行って、診察中に風さんが噛まれてしまい、話題はシルバーから私へ移ってしまった。
私の負傷は癒えたが、シルバーは相変わらずである。いくらか毛も抜けた。2種類の飲み薬から、清潔を保つためのシャンプーや塗り薬ももらったけれど、効果が出ているように思えない。
その上、加齢によると言うか、老化現象も進んでいる。飼い主の私はボケが最も進んでいるが、シルバーは体力の低下も著しい。ヨタヨタ歩いている(私もうっかりするとヨタヨタ歩いているかも)。後ろ足で耳の後ろを掻こうとすると、ひっくり返りそうになり、途中でやめてしまう(私は手で掻くのでひっくり返ることはない)。高い所へ飛び乗るのは猫の得意とする技だが、よほどのことがないと登らない(私はそういうことは不得意なので登らない)。視力が低下したのか、目力がなくなった(私も老眼でよく見えない)。以前から、たまにトイレのすぐ外でオシッコをしてしまったり、ウンチをお尻につけたまま歩き回っていたが、その頻度が増した(私がそうなるのは、もう少し先だろう)。
シルバーを見ていると、自分の姿を見ているようで、同情を通り越して共感してしまったりする。可哀想にもなり、ペコにはやらない牛乳を皿に注いでやると、力なく舌につけながらすすっている。
こういうのを「同病相憐れむ(どうびょうあいあわれむ)」と言うのか。あ、猫(びょうとも読む)だから「同猫相憐れむ」か(……?)。
10月19日(日)「終日学会モード・・・の風さん」
日中の最高気温は25℃を超えるような予報が出ていた。大阪だからというのではなく、全国各地の気温が上昇しそうだった。完全に真夏と同じ身だしなみで、大阪府立大学へ向かった。「新大阪」駅から御堂筋線の終点「なかもず」駅まで360円である。料金からその遠さが推定できる。
春と夏に参加している学会に出るため、ここへ来たのだが、会場がまた駅から遠かった。重い荷物を持って、徒歩で約20分もかかる。午前中から強くなってきた日差しを浴びて、早くもネクタイを締めた首に汗がにじんだ。
先月淡路島で発表した関係で、今回、ここでの発表はない。しかし、学会活動をするためには、その雰囲気や、発表の仕方、たとえ分野は違っても他の研究を勉強する必要がある。今春の電通大での発表のときは、手術直後のへろへろ状態で、発表する時間帯だけしか会場にいられなかった。あれから、半年、とにかく学会に参加できるだけに回復している。
午前、午後と目一杯聴講した。自分の専門と異なる発表を聴いたので、詳細は分からないが、全体感というかマクロな把握による勉強はできた。
昼食は先生がたと近くのファーストフードの店に行った。日曜日なので学食もやっていないのである。
学会が終わるやいなや速攻で家路についた。相変わらず気温が高く、駅に着く頃には大汗だった。
帰宅し、夕食を摂ってすぐ、やりかけの作業に着手した。日本語の論文を作成するため、シミュレーションのやり直しをしているのだが、まだ思うような結果が出ないので、前提条件を調整している。頭の回転が鈍くなっているので、遅々として進まない。
10月20日(月)「爺いの風上か風下か・・・の風さん」
日本語の論文作成が進まない焦りの中、会社生活がスタートした。
できれば時間を見つけて会社で作業をやりたいが、そんな余裕は全くない。出社してラジオ体操をしてから、あっという間に時は過ぎ行く。夢中で仕事しているし、パソコンの画面に向かっていることも多く、目が疲れる。若い頃はテレビやゲームでいくら長時間経過しても平気だったが、もうダメ(笑)。
おっと話が激しく逸れて行く。これも老化のせいだな。
最近ラジオ体操をしていて、右腕を振り上げると、肩のあたりが痛い。……もしかして。五十肩の可能性あり、だ。ヤバイ。どんどん「無理をしてはいけない」という警告が次々に五体に起こる。逆に、これは長生きをするための準備とも言えるのだが、爺いっぽくなるのはイヤだ。
爺い、と言えば、女子高生を誘拐監禁した63歳の男が逮捕されたな。現代では63歳はまだ若造かもしれない。が、ひと昔前なら、63歳は立派な爺いだ。つまり、こういうヤツは、爺いの風上にも置けない野郎だ。
そこへ行くと私は……風下にいる?
10月21日(火)「法学者と運命的な出会い・・・の風さん」
午後を休みにして名古屋へ出かけた。秋田県が主催する企業誘致活動の会に出席するためである。
私の勤務先など、最も秋田県が誘致したい企業の一つだろうが、風さんの力でどうこうできることではない。
今日は、秋田県の知人、友人のための友情出演みたいなものである(なんのこっちゃ)。
場所は栄の名古屋東急ホテル。実は本気で心配していたが、まずまずの入場者数だった。
第1部は、秋田県知事の挨拶から、国土交通省の役人のプレゼン、各市町村長のPR、秋田県で事業展開している企業トップによる先行事例紹介と続いた。感心したのは、どなたの発表も立て板に水で、明快な説明だったこと。そして、最も感動したのは、秋田県のPRが目的であるにもかかわらず、押し付けがましさは無論のこと、こういった場面では当然あっても良いような誇張や誇大宣伝がないことだ。これは秋田県人の共有する美点で、とっても慎み深く遠慮がちで、きわめて善良な性格なのである。はたして中部・東海地区の人たちにどれだけ伝わったことだろうか。
第2部はレセプションである。持参した『和算小説のたのしみ』を佐藤副知事に渡した後は、上小阿仁村の小林村長と懇談した。話してみたらやはり秋田高校の16年先輩で、元大学教授、法学者だった。大胆にも風さんは、この法学者と日本国憲法について語り合い、意気投合してしまった。今日最大の収穫がこの小林先生との出会いだった。運命的なものかもしれない。もう1冊持参した『美しき魔方陣』を贈呈したのは、言うまでもない。
10月22日(水)「たまにミッシェルで出社すると・・・の風さん」
夕方から本社へ行く用事があったことと、天気が下り坂だったので、ミッシェルで出社した。今まで、当たり前のようにクルマで通勤していたが、しばらく電車を利用していたら、クルマの運転に新鮮さを覚える。それはそれで楽しいのだが、ミッシェルの振動の大きさが気になるから笑ってしまう。人間、楽していると、ちょっとした苦痛が大きく感じられるのかもしれない。
来週は出張の嵐になるので、詳細なスケジュールを会社で組んだ。
有料道路をミッシェルで軽快に走って帰宅。確かに小雨が降り出した。
10月23日(木)「忙中忙あり・・・の風さん」
21日に出会った小林先生へ、昨夜用意した『和算小説のたのしみ』を郵送した。よく考えてみると、本来、企業誘致のために、当地の企業のキーマンと大いに語り合わなければならない小林先生を、レセプションの間中ほとんど私一人で拘束してしまったのだ。お詫びの手紙を添えてお送りすることにしたのだ。
それにしても小林先生とはぜひまたお目にかかって、放談したい(笑)。来年1月にミラノでスピーチされるそうなので、私もミラノへ行こうかな。
今朝は、やっと大腸がん健診のサンプルを出すこともできた(これまで多忙だったので……関係ないか)。
今日こそ、時間を見つけて自分の仕事を、と思ったが、駄目だった。
帰宅して論文をやらねば……。
帰宅したら、来年の軽井沢夏期大学の連絡が届いていた。ありがたいことに来年の講師を拝命しているのだが、もうその準備が始まるのだ。
10月24日(金)「歩け歩け・・・の風さん」
昨夜は論文作成に着手する間もなく、疲労でダウンしてしまった。いつものように書斎の床でぶっ倒れていた。
目が覚めたのが午前3時である。身体がすっかり冷え切っていて、慌てて風呂に飛び込んだ。ゆっくり温まったところで、書斎へ逆戻り。
そこから論文作成のための、シミュレーションのやり直しを開始。かつての部下にお願いして出してもらった基礎データを、これまではそのまま使用していた。しかし、別々の開発者に出してもらった基礎データをもとにして、統合的な理論というか、統一した仮説を裏付けるには少々無理があった。そこで、今度は逆に基礎データのベースをそろえてみようというのである。本来共通であるべき前提条件を、あらためてそろえるのである。
実に単純な話なのだが、老化してボケた頭には、こういったことがうまくできない。
どんどん時間が経過していき、あっという間に夜が明けた(笑)。
今日は四日市にある某企業の工場見学に行くことになっていた。急いで行く必要はなかったので、朝食後もシミュレーション見直しの続きをやって、ようやく最寄りの駅まで歩いて行って出発した。名古屋からは近鉄に乗り換えた。そして、近鉄四日市で降りたすぐ後、福島県のディーラーからお袋のセリカの車検が終わったという連絡があった。幸い大きな交換部品もなく、安く上がったらしい。納車時には、サイドブレーキをやんわりと引いておくようにお願いして電話を切った(しっかりサイドブレーキを引いてしまうと、非力なお袋は解除できない)。
近鉄四日市から歩いて30分のところに、目的地の工場があった。
今日は、その企業の自慢の改善活動である「ぴかぴか運動」を見学した。2002年から継続しているだけあって、工場の隅々まで徹底して、非常に参考になった。ぜひ、自分の職場にも展開したいと思った。
どうしても定時後、本社へ行かねばならなかったので、私だけ早めに失礼して、また30分ほど歩いて、4時21分近鉄四日市発の特急に乗った。名古屋でJR特別快速に乗り継いで、刈谷の本社の会議室へ5時半までにたどり着くことができた。
1時間弱の会議を終えて、再び駅まで戻り、金山経由で、今朝出発した最寄りの駅まで戻ってきた。あまりにもたくさん歩いて疲れていたので、ワイフに駅まで迎えに来てもらったが、ここまででも軽く1万歩は歩いただろう。
だいぶ元気になってきたな。
10月25日(土)「わかさいも・・・の風さん」
またまた夕べも書斎でダウンしてしまい、午前3時頃に起き出して……とは行かなかった。そのまま朝まで爆睡。とりあえずシャワーを浴びて目を覚ましてから、朝食を摂った。
今日はゼミがあるので、作業が進んでいなければならないのだが、さっぱりだったので、開き直り。やりかけのシミュレーションをそのまま先生に見てもらうことにした。それから、海外研究活動のための奨学金申請書のたたき台だけは急いで作った。
今日は2時からの約束で、スタートを遅くしたのはよいが、もう時間がなかった。急いで着替えて階下へ降りたら、私の姿を見てワイフがひと言。
「やだー。それって夏の格好よ」
駅まで歩くつもりだったが、クルマで送ってくれるというので、すぐに2階へ戻って、上着を羽織ってきた。
「さあ。卵かけご飯だけでも食べていかないと、落ち着いて勉強ができないわよ」
とまたワイフがツッコミを入れてきたので、目を白黒させながら、3分でどんぶり飯をかっこんだ(笑)。
駅に着くと、ちょうど電車が入ってきたところだった。やっべぇー!
階段を駆け上がって改札を通り、また階段を駆け上がってホームへ出たら、ドアを閉めた電車が動き出していた(涙)。
大学の事務へ電話して、到着が遅れることを大野先生へ伝えてください、とお願いした。
実は、32分発の電車に乗るはずが、勘違いして23分発だと思っていた。たまたま20分発の電車が来たため、焦ってはみたものの、それには乗れなかった。しかし、本来乗るべき32分発の電車が10分後に来たので、ゼミには間に合ったのだ。
ゼミが終わった帰りに、名古屋のデパートで開催している「大北海道物産展」を覗きに行った。「わかさいも」があったら買って帰ろうと思っていたのだ。
しかし、なかった。
10月26日(日)「背筋が冷たくなる話・・・の風さん」
昨夜から、28日に都立戸山高校でおこなうSSH数学特別授業の準備を始めていたが、何とか昼前にほぼ完成した。
それで安心した私は、地元の体育館で開催されている町の文化祭を見学に行き、主催しているトールペインティング教室の生徒さんたちの作品展をやっている、口の悪いワイフとランチを食べに行った。
数日前から、髭剃りの電気カミソリを使うと、やけに痛かった。注意深く観察してみると、外刃に小さな欠損が生じていた。これで髭剃りが肌剃りになっていたのだ。
三河湾の近くの中華レストランで、日替わりランチを食べたのだが、顔のあちこちが痛い。きっと肌が荒れてしまっているのだろう。明日にも新しい外刃を買わなければ……。
「ところで、あなた、お金持っている?」
ランチを誘ったワイフがいきなり聞いてきた。
「珍しく財布持って出てきたから」
「よかった」
いつも財布を持っているワイフが財布を持っていなくて、いつも財布なんか持って歩かない私が財布を持っていた!
「おいおい。もし僕が財布を持っていなかったら、どうしたんだ?」
日替わりランチがテーブルに運ばれてきた。
「さあ。どうしたのかしらね?」
背中がぞくぞくしてきたぞ。
10月27日(月)「電撃メール・・・の風さん」
久しぶりにミッシェルを運転して出社。神棚に安全祈願、ラジオ体操をする間もほとんどなく会議に突入。その後すぐ本社へ移動する計画だったが、席に戻ったらパソコンが動作しない。苛立っている間に、会議に間に合わなくなり、午前中の会議をパス。午後から本社へ移動した。トップ報告でまた叱られ(笑)、ボヤボヤしている間に製作所へ帰るタイミングまでなくしてしまったので、そのまま直帰することに。
帰り道、大型電気店に寄った。電気カミソリの外刃を買うためだが、月末の特別セール期間中なので、抽選番号付きの案内状も持っていた。それがナント、下3桁が当選していた。1000円券ゲットである。ちなみにその当選確率は1000人に5人である。何か良いことがあるかも……。
明日の準備はだいたいできていたので、他にやることをやろうとしていたら、装丁家の中島かほるさんから「某出版社の編集者が会いたがっている」という電撃メール。すかさず「明日、上京するので、都合がついたら会いたい」と返信したら、「偶然ね。うまく行くことを祈っています」ということで、彼女が連絡してくれることに……。
1000円は当るし、明日は、久しぶりに作家の顔をして歩けるかも(^_^)。
10月28日(火)「あさ、ひる、パン・・・の風さん」
5時半起床。電気カミソリで安心して髭を剃ることができた。朝食はいつものメープルシロップ(もちろんカナダ産)をつけたトースト。元気が出るぜ。
ミッシェルで有料道路を安全運転で走る。今日は午後大事な用事が東京であるのだから、早朝からドジを踏んではいけない。それにしても、朝から鼻がむずがゆい。念のため弱い花粉症の薬を飲んだが、すぎには効いてこない。
本社で8時から30分、専務報告。9時から1時間、事業部と会議。
まるで他社を訪問するようなスーツ姿だが、今日は有休にして、久しぶりに作家活動だ。キャリーバッグを引きながら、最寄りの駅まで歩いた。その間に、私に会いたいという編集者からケータイに電話が入った。先方も夕方は空いているとのことだったので、5時から京王プラザホテルのロビーで会う約束をした。
名古屋駅の新幹線改札口で、エクスプレス予約している列車より10分早いのぞみに乗れそうだったので、すぐにケータイからアクセスして乗車変更を試みた。うまく行ったので、そのままICカードをかざして改札を通ると、たった今予約したばかりの列車の座席券が出てきた。
売店でミネラルウォーターを買って、強力な花粉症の薬を飲んだ。
のぞみに乗車し、車内販売からアイスクリームを買って食べ、そのまま爆睡。
品川駅に着く頃には、花粉症の症状がだいぶおさまっていた。
新幹線待合室でアシュレイを取り出して電源をつなぎ、今日のスライドをチェック。昨夜からスタンバイ状態にしてあったので、すぐ作業に入れ、充電もできた。
しかし、移動の時刻が迫ったので、昼食を摂る時間がなくなり、売店でパンを2個購入し、自販機で買ったコーヒーを飲みながら、山手線で食べることに……。
高田馬場で降りた。ここで降りたのは初めてかもしれない。青空がまぶしいほどで、前途が明るく感じられる。しかし、スーツ姿でキャリーバッグを引いて歩くのはちょっと苦しいな。地図で確認すると都立戸山高校までけっこうな距離がある。
やっと近くまでたどり着いたら、新しい地下鉄の駅が出来ていた!
創立119年の伝統校だが、校舎は新しく、学校の運営方針も自由で個性的だ。文武両道を標榜(ひょうぼう)する私の母校、秋田高校も創立135年の伝統校である。共通するところがありそうだ。正門の前で、今回の特別授業を企画してくださった荻野先生へ電話し、少し入ったラジアン池のところで合流した。午後2時半である。
特別授業の前に少し校内を案内してもらった。吹き抜けを囲むような校舎で、内庭は階段状になっていて交流ゾーンである。秋田高校も校舎の中心部に出会いの場がある。
授業にはSSH数学の生徒だけでなく、先生がたと父兄の方も来られた。幅広い聴講者に話をするのはとても難しい。今回は、できるだけ生徒中心にするように心がけた。終わって、江戸時代にこんなに数学が発達していたとは驚いた、と感想を述べてくれたので、先ずは狙いは成功だったようだ。
拙著3冊を学校へ寄贈し、別にサイン本3冊を荻野先生へ預けた。
帰途についたのが4時半。滞在時間2時間の慌しい特別授業だった。
校門を出てしばらく行くと、バス停から新宿西口行きのバスが出るところだった。走れば間に合ったろうが、決断が遅かった。また、高田馬場駅まで軽くなったキャリーバッグをごろごろ引きながら歩いた。気温が高く、汗ばむ。
新宿駅西口から京王プラザホテルまでせっせと歩いたので、約束の5時に間に合った。
児童文学書を出す出版社で、編集リーダーの方は、私の大学の先輩でもあるコーディネーター氏をともなって登場した。初対面なので、私は私の執筆姿勢を、先方は先方で出版方針を徹底的に語り合い、良い本を出しましょうということで合意できた。ただ、私があまりにも忙しすぎるため、出版まで2年間ぐらいかけることを許してくれたのはありがたかった。
児童文学は以前から挑戦してみたいジャンルだった。知り合いの作家、楠木誠一郎さんやたからしげるさんの得意とするジャンルで、若い人たちへメッセージへ送るという価値ある仕事である。
6時半に失礼することになり、再び新宿駅西口へ向かった。
中央線に乗りながら、ケータイで帰りののぞみを今日2回目の乗車変更をした。
東京駅では、夕食を食べる時間もなかったので、美味しいパン屋へ寄って、パンを2個と牛乳を買った。
ようやくのぞみに乗車し、パンをかじりながら、今日は朝から3食ともパンだったことに気付いた。
名古屋から勤務先の本社のある駅まで向かい、ミッシェルで帰宅した。
夜道は当然空いていたが、玄関を入ったのは10時をかなり回った時刻だった。
10月29日(水)「小林旭に乾杯・・・の風さん」
日本能率協会の中部地域事業部との公私にわたるお付き合いがある。
今日は、そこが主催する「生産マネジメントシンポジウム」に参加し、貴重な講演を聴講した。国際経済情勢が激しく動く中、日本国内で最も元気と言われる中部地区だが、はたしてどのように事業運営をしているのか興味があった。結果は、驚くことが多く、各企業とも実に戦略的に早め早めの手を打っている(一緒に聴講した同僚も同感とのことだった)。そして、日本の企業の良さだろうが、決して排他的というか自社だけがうまくいけばよいという考え方ではないので、取り組んできたことや現在も挑戦していることを、かなり正直に公開してくれる。グローバルな時代、日本は日本で協力し合うことが大事だと思った。
そういう意味で、日本能率協会のような企業を横断的にまとめて活動する団体の存在意義は大きいと思う。ついでに、名古屋のトップから協会が出している新刊を頂戴した。『隠れた力を引き出す会社』である。ぱらぱらとめくってみると、日本企業の経営の真髄が書いてある。貴重な本だ。
5時まで真剣に聴講した後、私はそそくさと会場を後にして、地下鉄名古屋駅を目指した。2ヶ月前にチケットを買った、小林旭の歌手生活50周年記念コンサートをワイフと聴くために、池下にある愛知県厚生年金会館へ向かわなければならないのだ。
厚生年金会館では昨年、ワイフの希望で中村正俊のコンサートを聴いた。今回は私の希望だが、チケットを買ってから、二つの事件が起きた。
一つ目は、伝統ある文化施設、愛知県厚生年金会館が10月で閉鎖し、マンションに生まれ変わるというニュースだった。経営が不振だったわけでもないのに、これは全く納得できない。マンションというものを正直言って私は嫌っている。同じような世代が一斉に入居すると、ほぼ同じペースで歳をとっていく。数十年後に明るい世界が描きずらい。また、マンションはどうしてもそれぞれが閉鎖的になりやすい。隣は何をする人ぞ、おら知らねぇー、ということになりかねない。そこへ行くと、さまざまな文化行事を催してきた厚生年金会館は、地域にとっても文化の殿堂、シンボル的な存在だったのではないだろうか。
二つ目は、有名な歌手5人の暴力団とのスキャンダル報道だった。暴力団の組長の誕生日を祝うパーティーやゴルフに参加したというのだ。ひょっとして、今夜のコンサートが中止になるのではないかとひどく心配したが、幸い、それはなかった。
すっかり暗くなった池下駅前に出た。ワイフよりも私の方が先に着いた。
始まる前にロビーでワイフが持参したおにぎりをほおばって、会場に入った。1階の前から9列目で、持参したオペラグラスも不要な絶好のポジションだった。早くチケットをゲットしたお陰だろう。
「熱き心に」で始まったのだが、小林旭のトークが始まって驚いた。いきなりスキャンダル報道がいかに不当なものだったかを、原稿とかセリフではない自分の言葉で語り出したのである。詳細は省くが、企業に勤める私もCSRという変な規制のために、いかに企業が細かなことに神経を払わなければならないかを知っているので、よく分かった。こういうことにビクビクしたり、気にし過ぎていくと、世の中窮屈で生きずらくなるし、企業はつぶれかねない。芸能生活50周年という重みが、小林旭の話の説得力を増していた。
「あと数日で、私は古希です。そうなったら、お祝いのパーティーをやろうとか、全国70ヶ所記念コンサートをやろうとか、記念のアルバムを作ろうとか、色々あったのに、みんななくなってしまいそうです。50年間、悪いことなんか、少なくとも犯罪者と後ろ指さされることなんかしてこなかったのに」
デビューした頃の映画が全盛を誇っていた時代の話は面白かった。ついこの間、小樽で石原裕次郎記念館を見学してきただけに、裕次郎の話が出てくると、いっそう小林旭というかつての大映画スターが、実像となって、より人間らしく、目の前に確かめることができるのだった。そして、このはるか高くて遠い存在だと思っていた小林旭が、実は私よりもたった15歳しか上でないことを知って、また驚いた。
「本当に歌がうまいわね」
帰りの地下鉄でワイフがため息をついた。
「音感の正確さがすごいと思ったよ」
しかし、私の好きな「腕に虹だけ」を歌ってくれなかったのは残念だった。
まだ少し時間があったので、ワイフとセントラルタワーズ12階のバーに入って1杯飲んだ。隣に若いカップルが座っていて、なんと結婚10周年を祝っていた。イケメンの亭主はどう見てもミュージシャンのような印象。反対側に座っていたのは英国人と思われる熟年の夫妻で、二人のことを説明したら、ボーイに言いつけて、お祝いのシャンパン(グラス入り)をプレゼントしていた(やるなー)。そのことを伝言するように夫人が私に言うのだが、私がまじめに英文和訳を頭の中でやっている間に、イケメンの妻がつつっと歩いて行って、スラスラと英語でお礼を言っていた。わー、カッコ良過ぎ〜。
私もカッコつけて、名鉄電車は特急をおごった。
10月30日(木)「会社員と作家を往復・・・の風さん」
6時起床。今日も会社の仕事で出張である。
新横浜から電車を乗り継いで、同僚と某社を訪問し、事業部長と腹を割った話をした。経営環境が厳しくなってくると、お互いに気にかけることが多くなり、変な腹の探り合いになる恐れがある。そうなると、難しい局面では、問題がこじれる。そうならないための、非公式の打ち合わせだった。
予想外に話し合いに時間がかかり、終わってから、次の訪問先へ行くのがギリギリになってしまった。私は駅の近くのコンビニまで走ってパンを2個買い(デジャブじゃないが、似たシーンの記憶が私の脳裏をフラッシュバックして走り去った)、自販機で買ったコーヒーを飲みながら、電車の中で昼食にした(なーんだ。一昨日とそっくりじゃん)。
その間に、母のセリカの車検のお世話をしてくれた人からケータイに電話が入ったりして、けっこう落ち着かなかった(笑)。
午後の訪問先にはしっかり間に合って、二つある打ち合わせの前半だけ出席して、後半は失礼させてもらった。いくら何でも私は忙し過ぎる〜。
帰りの電車を乗り継いで、ようやく最後の名鉄に乗っていると、またケータイが鳴った。番号が表示されていたので、とりあえず出てみた。元上司で、今は関係会社の社長を務めるMさんだった。
「昨日の集まりで星亮一先生に君のことを話したら、先生も会いたいって言ってたよ」
うれしい知らせだった。
来月の集まりの日を聞くと、行ける可能性があることが分かった。福島県である。
ますます忙しくなりそうだった。
帰宅したら、一昨日会った出版社から2冊の本が届いていた。一昨日2冊頂戴したので、これで4冊だ。すべて貴重な資料になる。今週だけで5冊も本をもらってしまった。
10月31日(金)「読書はご馳走・・・の風さん」
今朝も6時起床。朝刊を開いたら、1面に勤務先の決算結果が非常に悪かったことが出ていて、その全く反対側、テレビ面の裏に、勤務先の従業員が訴えた「うつ病になった責任は会社にある」の判決結果が出ていた。賠償金の支払い命令が出ていたので、従業員の勝訴である。その従業員がうれしくて泣いている写真が掲載されていたので、もうその人はうつ病ではないようだ(うつ病の人はすべての責任は自分にあると思い込んでしまうのだから)。
電車で本社に向かったら、本社のあるJRの駅でビラ配りをしている人がいた。朝刊の勝訴を私たち従業員に訴えようとしているのだ。
しばらく行くと、道沿いにその配ったビラを回収しようとしている人が何人もいた。
私は自分の人生を大事にしようと思っている。何かのことでつまずいたりしても、その責任の所在を明らかにすることより、次のステップに生かすことに力を注ぐ。過去の整理に労力を費やすより、今から先の時間を有意義にするために、努力を惜しまない。結局、自分のためかもしれないが、建前としては他人の幸福につながることをしたい。多くの人の喜ぶ顔を見たい。
午前中会議に出て、昼から京都へ出張した。
今日から、岩波新書の『岡潔 数学の詩人』を読み始めた。数学者を理解するのに、最適な書籍のような気がする。
京都駅で上司、同僚と合流し、タクシーで某社へ向かった。
某社での仕事はけっこう気が重かった。これまで1年以上協力してやってきたのだが、なかなかスカッと問題解決しないからである。
長い仕事を終えて、再び新幹線に乗った。『岡潔』の続きを読む。ある意味、最も日本人らしい数学者かもしれない。読書はどんなご馳走にもまさる。
寝る前に上野先生から頂戴したお母様の口語訳『源氏物語』第二巻を読み終えた。原文を忠実に口語に訳しているのだが、ようやく慣れてきた感じがする。そして、原文をそのまま読んでいるような味わいを感じるようになった。
淡路島での国際学会発表が近付く頃から、読書のペースがガクッと落ちた。今年やっと35冊目である。
08年11月はここ
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